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天才バイオリニストとして世界から注目を集める吉村妃鞠ちゃん。その母親である吉田恭子さんもまた、世界的に名高いバイオリニストであることが判明しました。
さらに、吉田恭子さんの母親も音楽関連の仕事に従事しており、吉田家はクラシック音楽の伝統を受け継ぐ家系といえます。子育て方法や妹などについても調べてみました。
目次
吉村妃鞠の母親は吉田恭子
出典元 X
吉村妃鞠ちゃんの母親は、吉田恭子さん(1974年1月11日生まれ)です。東京出身で世界的に有名なバイオリニストです。音楽好きの祖母のすすめで、2歳からバイオリンを始められました。
吉田さんの幼い頃、祖父の家にある池でおたまじゃくしを眺めるのが好きだったそうです。東京の家に池があるなんて、まさに裕福な家庭で育った証拠ですね。
彼女のキャリアは2001年にコロムビアミュージックから2枚同時発売されたCDで華々しくデビューし、その後も精力的に作品をリリースしています。
その後、作曲家の吉村龍太さんと結婚され、37歳の時に吉村妃鞠ちゃんを出産しています。彼女の演奏は多くの音楽専門誌でも高く評価されており、共演した数々の楽団や演奏家からも絶賛され聴く人々を魅了し続けています。
吉村隆太さんについての詳細はこちらの記事をご覧ください。
吉村妃鞠の母親・吉田恭子の学歴
吉田恭子さんは、音楽の名門として知られる桐朋女子高等学校音楽科から桐朋学園大学音楽学部を卒業されました。この大学は、ピアノ、弦楽器、指揮、作曲の専攻で特に高い評価を受けており、多くの著名な演奏家を輩出しています。
指揮者の小澤征爾氏をはじめ、宮本笑里さんや高嶋ちさ子さん、諏訪内晶子さんなど、バイオリニストとしての卒業生も非常に有名です。
大学卒業後、吉田さんは文化庁芸術家海外派遣研修生としてさらに研鑽を積むため、イギリスのギルドホール音楽院やアメリカのマンハッタン音楽院に留学しました。留学中には、巨匠アーロン・ロザンドに師事し、その技術と音楽性を大いに磨きました。
また、世界各国の音楽祭にも積極的に参加し、数々の賞を受賞するなど、国際的な評価も高まっていきました。吉田恭子さんは、まさに桐朋学園大学音楽学部が誇るべき卒業生の一人であり、その活躍は今後も期待されています。
吉村妃鞠の母親・吉田京子の経歴
吉田恭子さんは、1996年3月に文化庁助成・演連コンサートでデビュー・リサイタルを行い、その華々しい音楽キャリアをスタートさせました。ニューヨークに拠点を移した後は、世界的に評価される演奏活動を展開しています。
2001年にはCDデビューを果たし、これまでにメンデルスゾーンやチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を含む8枚のアルバムをリリース。その幅広いレパートリーは、国内外で高く評価されています。
吉田さんは全国各地でリサイタルを行うだけでなく、ソリストとして読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、さらにはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者が中心となるオーケストラ「マスター・プレイヤーズ・ウィーン」などと共演しています。彼女の演奏は、指揮者や共演者からも深い信頼を得ており、その音楽的な存在感は非常に高い評価を受けています。
また、メディアへの出演も多数あります。NHK「つながるテレビ@ヒューマン」、テレビ朝日「題名のない音楽会21」「徹子の部屋」、など、テレビやラジオ番組でのパーソナリティやコメンテーターとしても活躍。また、NHK「地球ウォーカー」ではテーマ曲を担当し、G8北海道洞爺湖サミットでは環境庁のエコピニオンとしても登場するなど、多岐にわたる活動で広く親しまれています。
吉村妃鞠の母親・吉田恭子の現在の仕事と実績
吉田恭子さんは、演奏家としての活動だけでなく、子どもたちと自然やエコロジー、チャリティー活動にも深く関わり続けています。20代からすでにチャリティー活動に積極的で、子どもたちの音楽的感性を育むための取り組みとして、2003年から「ふれあいコンサート」シリーズをスタート。
ピアニストの白石光隆さんやチェリストの渡部玄一さんと共に全国を巡り、16年間で480回もの公演を行い、8万名以上の小中学生が参加しました。この活動は、多感な時期の子どもたちに音楽を通じて優しさややる気を引き出すきっかけを提供することを目的としています。
吉田さんは「関西・経営と心の会」奨励賞を受賞するなど、その社会貢献活動も高く評価されています。彼女自身、「音楽は言葉にできない心の変化をもたらす力がある」と信じ、音楽を通じて子どもたちに寄り添い、褒めるだけではなく本気で向き合うことを大切にしています。
近年では、毎年8月に軽井沢で「若い芽の弦楽アンサンブル」という合宿プログラムを主催。これは、弦楽器を学ぶ子どもたちが共同生活を通じて音楽を学び、技術だけでなく、周囲とのコミュニケーションやチームワークを育み、誰かと一緒に音楽を作り上げる喜びを感じてもらうため、この合宿を通じて、軽井沢の自然の中で仲間と共に学ぶ機会を提供しています。
近い将来、この合宿出身の子供たちが活躍するといいですね。
吉田恭子の母親も音楽家
出典元 Kトレーディング
吉田恭子さんの母親である吉田慶子さんは、かつてクラシック音楽の公演や企画を手掛けるジャパン・アーツで役員を務めた経験を持つ、優れた音楽マネージャーとして知られています。現在は、Kトレーニング株式会社の代表を務め、音楽に関連するさまざまな活動を展開しています。
彼女の主な活動としては、企業の社会貢献活動に音楽を通じてサポートを提供することや、
芸術家のマネジメント、そして日常生活への音楽の普及が挙げられます。また、芸術家の派遣など、音楽と人々を結びつける仕事にも力を注いでいます。
吉村妃鞠の母親・吉田恭子の妹はシンガーソングライターのKOKIA吉田亜紀子
出典元 Instagram
吉田恭子さんの妹は、シンガーソングライターのKOKIAさん(本名:吉田亜紀子)です。吉田恭子さんも美人ですが、KOKIAさんも40代後半に見えない美人ですね。
2024年現在、48歳で2014年に結婚されており、2016年に男の子を出産されています。3歳の頃からバイオリンを習い始め、桐朋学園で高校・大学と声楽を専攻しました。
クラシック音楽の研鑽を積む一方で、自ら作詞・作曲した楽曲を通じて音楽の魅力と可能性を多くの人に伝えたいと感じ、大学在学中にアーティストとしてデビューしました。彼女の多彩な歌声は早くから海外でも高く評価され、「国境を越えた歌声」としてヨーロッパをはじめとする世界各地で支持を集め、活動の範囲を広げています。
現在、KOKIAさんはロンドンと日本を拠点にし、世界中のファンに向けてオンライン配信などを通じて音楽を届け続けています。アテネオリンピックの日本選手団公式応援ソング「夢のチカラ」が採用されています。
吉村妃鞠の母親の子育て方法・教育方針
吉田恭子さんの子育てには、たくさんの方からのアドバイスや学びが詰まっています。赤ちゃんの音楽教育を研究している先生との対談や、祖母に薦められて読んだベストセラー『幼稚園では遅すぎる』など、様々な知見を取り入れてきたそうです。
特に心に残ったのは、「一つ二つ三つ、四つ、五つと『つ』で数えられるまでは両目を開けて育て、十からは見えていても片目をつぶって育てるもの」というアドバイスです。この言葉を受けたとき、吉田さんは「まだ片目をつぶれるまで7年もある!」と驚いたそうです!!
それでも吉村妃鞠ちゃんが一人で何でもできるように、そして自立した人間に育つよう、小さいころから活字が読めるように教育を始めました。その結果、吉村妃鞠ちゃんは4歳の時に漢字検定9級を国内最年少で満点合格。活字を通じて自分で調べ、考える力を養うことが大切だと考えた吉田さんは、絵本にルビをつけるなどして、自然に読み書きを教えたそうです。
その甲斐あって、今では吉村妃鞠ちゃんは自立心旺盛で、親としてはもう少し頼ってほしいと思うほどだといいます。
吉田恭子さんは、音楽を「世界共通言語」と捉え、想像力を必要とする芸術だと考えています。100年、200年前に作曲家が残した楽譜を現代の聴衆に伝えるには、自分の思いや感情を正確に表現する言葉が必要であり、だからこそ早期の識字教育は重要だと感じているのです。
また、教育環境にもこだわり、厳しい幼稚園を選びました。そこでは、基本的なことからトラブル対応まで自分で考え、行動する力を養うように教育されました。日頃から大人と接することが多いので、吉村妃鞠ちゃんにとって幼稚園は「楽しいワンダーランド」だったそうです。
吉村妃鞠ちゃんは2歳でバイオリンを始め、4歳からはコンクールに出場していますが、吉田恭子さんは舞台の袖には立たず、「客席で絶対見ている」とだけ伝え、すべてを娘の判断に任せています。そのおかげか、今では大きな舞台でも物怖じせず、自分のペースで集中して挑むことができるようになりました。それでも寝るときだけはそばに来るという娘の姿に、吉田さんは「彼女なりにバランスをとっているのかな」と感じているそうです。
妃鞠さんは非常に自由な人で、何事も納得しないと行動しない性格ですが、それを吉田さんは尊重しています。将来、音楽以外にやりたいことが見つかったとき、その道を選ぶことも心のどこかで覚悟しているとのこと。吉田さんは、娘が自分らしく生きるための道を、そっと見守りながらも、強く支えています。
吉村妃鞠ちゃんが自立できるようにするには、どうしたらいいかを考えて子育てされているのが分かりますね。
娘には実はバイオリンよりやってほいし事があった。
吉村妃鞠ちゃんが音楽の道に進むことになったのは、実は吉田恭子さんの意向とは少し違ったものでした。吉田恭子さんは、むしろ音楽をさせたくなく、バレエをやってくれたらいいなと考えていたそうです。
自身がヴァイオリニストであるからこそ、その道の厳しさをよく知っているので、そんな思いをさせたくなかったのではないでしょうか?しかし、吉田さんが留守の間に、祖母が近くのヴァイオリン教室に連れて行ったことがきっかけで、吉村妃鞠ちゃんは自然とヴァイオリンを手にし、いつの間にかひとりで弾き始めていました。
驚くべきことに、ヴァイオリンを始めてわずか3か月でバッハの曲を演奏するようになったのです。幼い頃から吉田恭子さんの仕事場であるコンサートホールに出入りしていたため、自然と耳が育ち、次々と新しい曲に挑戦していく姿に、吉田恭子さんは感嘆を覚えたそうです。
最初はバイオリンを反対されていましたが「手の形だけはあとで直すのが大変だから」と、吉田恭子さんは母親としてサポートを決意しました。吉田恭子さんは「人のために演奏する大切さ」を吉村妃鞠ちゃんに教えられました。
才能があり環境がよいと急激に成長するのですね!
コンクールに挑戦することになった際には、吉田さんも「どうせなら1位を取らせてあげたい」という思いで、妃鞠さんの練習に付き合いました。その結果、わずか5歳でオーケストラと共演することになり、7歳になる頃には年間10回以上ヨーロッパを往復する生活が始まったのです。
このように、吉田さんの思いとは異なる形で娘の音楽の才能が開花しましたが、その成長を見守りながら、彼女自身も母親としての新しい道を歩み成長されているようです。
吉村妃鞠の出産直前・産後がハードすぎた件
出典元 DOMANI
吉田恭子さんは、出産の1カ月前までデュオコンサートで演奏し、その1ヶ月後の6月24日に無事に吉村妃鞠ちゃんを出産されました。そして、わずか2か月後の8月9日には軽井沢でYEK2011アカデミーを主催するという驚異的なスケジュールで活動を再開されました。
産後2か月しか産休を取らずに仕事に復帰されています。体力的・精神的にも回復していないの大変だったのではないでしょうか?
吉田さんは、娘を連れて地方公演にも参加されました。幼稚園に入るまでは、シッターさんに同行してもらって仕事を続けていたそうです。しかし、諸々の経費を考えると、「何のために仕事をしているのだろう?」と悩むこともあったそうです。それでも、仕事を辞めるという選択肢はまったくなかったと言います。
吉村妃鞠ちゃんが赤ちゃんの頃から、吉田さんと共に旅をすることが日常となり、ママの仕事に同行するうちに、自然と多くの人に会い、人見知りをする暇もなかったのでしょう。その結果、妃鞠さんは幼い頃から度胸が据わっていたのでしょうね。
「どうすれば自分がハッピーに子育てをできるか」が常に頭の中を占めていた、と吉田さんは笑顔で語ります。出産後はホルモンの変化で気分が落ち込むこともありますし、夜のコンサートが多いため、ゆっくり眠れないことも日常茶飯事です。それでも、吉田さんは「自分が舞台でハッピーに演奏できないと、周りの人々にも影響を及ぼしてしまう」と考え、ストレスをためずに楽しむことを大切にしていたようです。
例えば、娘が夜に眠ってくれないと、自分が眠れなくてつらいので、日中にたくさん遊ばせて疲れさせようとか、翌日は練習したいから、その間娘が飽きないように工夫されていたようです。また、粉ミルクはどんな種類でも飲めるように慣らし、誰に抱っこされても笑顔でいられるように、いろんな方に抱っこしてもらうことを心がけていたそうです。
そうすることで、周りの方々が娘の相手をするときに負担がかからず、みんなで面倒を見てもらえるようなっていたようです。
吉田恭子さんの育児には、彼女ならではの工夫と前向きな姿勢がたくさん詰まっていて、その努力と愛情が、娘の成長に大きく寄与しているのではないでしょうか?
吉村妃鞠の母親・吉田京子と父親との出会い~結婚までのエピソード
吉田恭子さんと吉村龍太さんの出会いについて詳しい情報は公開されていませんが、共に桐朋学園大学音楽学部に在籍していたことから、大学時代に知り合った可能性が高いと考えられます。
さらに、2016年に吉田恭子さんがリリースしたCD『ロマンツァ』では、吉村龍太さんと共演されています。楽譜がないときは曲を聞いて、吉村龍太さん楽譜を作成するなどサポートも行っていたようです。
このことから、私生活でも親しい関係であることが伺えます。結婚生活がギクシャクしていたら一緒に仕事できないですもんね。
吉村妃鞠の母親・吉田京子と高嶋ちさ子の関係・どっちがうまい?
高嶋ちさ子さんはこれまでに17枚のCDアルバムをリリースしており、一方で吉田恭子さんは8枚のアルバムを発表しています。このアルバムの枚数だけを基準にすれば、高嶋ちさ子さんの方がより多くの評価を得ているように見えるかもしれません。
たしかに、高嶋ちさ子さんは知名度が高いため、CDをリリースしやすい環境があるのかもしれませんね。
しかし、吉田京子さんはソリストとして日本フィルハーモニー交響楽団などの名だたるオーケストラとも共演しており、クラシック音楽業界でその実力が高く評価されています。こうした点から、吉田京子さんの音楽的な実力は非常に高いと考えられます。
なお、吉田恭子さんと高嶋ちさ子さんは、いずれも桐朋学園大学音楽学部の出身です。現時点では、プライベートでの交流に関する具体的な情報はありませんが、新たな情報が得られ次第、追記していく予定です。
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